UA-79192611-1 日本最古の学校である足利学校跡

日本最古の学校である足利学校跡

国指定史跡の足利学校跡。
日本で最も古い学校だそうです。
室町時代から戦国時代にかけて関東の事実上の最高学府であり、全国から人が訪れていたそうです。

学校入り口

足利学校の最初の門である入徳門から入ります。

しばらく歩いていくと学校内に入る門が現れます。
足利学校の象徴的な門である学校門です。

日本で唯一「学校」の額が掛けられた門だそうです。
扁額「學校」の文字は明の蒋龍渓が弘治元年(1555)来日した時の書を、当時の国史館の狛庸が縮模したものだそうですが、凡人の私には聞いたこともない名前なので、ただ「ほ~」とうなずくのみです。

かなふり松

字降(かなふり)松質問箱なるものが設置されていますが、この由来は
第七世校長の九華和尚のころ、学生が読めない文字に出会ったとき紙に書いてこれを廟前の松の枝につけておくと
和尚がみてふりがなや注釈をつけてくれたそうです。

その由来にちなんで設置してあるのでしょう。

郵便ポストのように挿入口がついています。
でも、もし私がわからない漢字を書いて投函してもどうやって教えていただけるのでしょうか。
それ以前に、投函してもだれかに見てもらえるのでしょうか?

これが実際の字降松です。

孔子廟

足利学校の教育の基本は儒学だったため敷地内に孔子廟が設けられていました。
これが孔子廟の杏壇門です。

孔子廟の大成殿。

大成殿の中央に鎮座されているのが孔子像です。
畏れ多いので写真は撮ってありません。
案内板にて想像してください。

大成殿の向かって右側に鎮座されているのが小野篁像です。
同じく畏れ多いので写真は撮ってありません。
案内板にて想像してください。
足利学校の創建者だそうです(諸説あるそうですが)。

復元された方丈や庭園

主屋である方丈(ほうじょう)、庫裡(くり)が見えます。
庫裡の後方には書院があります。
この方丈で学生たちが講義を受けたり、学習をしていたんでしょう。

近世日本の教育遺産群として
茨城県水戸市の日本最大規模の藩校「旧弘道館」
栃木県足利市の日本最古の学校「足利学校跡」
岡山県豊前市の日本最古の庶民の学校「旧閑谷学校」
大分県日田市の日本最大の私塾「咸宜園跡」
が日本遺産に認定されて1周年(2015年4月24日認定)だそうです。

主屋の玄関。

ここで学生が勉強していたんでしょうが、
机は昔の物でなくてもいいですが足利市の備品シールは見えないところに貼ってほしかった。

ここは今でいう講堂みたいなところだったのですかね。

方丈の南にある庭園です。
鶴がはばたくように見える入り組んだ水際となっています。

方丈の北にある庭園です。
亀のように見える水際となっています。

学生が勉強したり生活したりしていた衆寮。
内部は六畳間に一間の土間で一部屋となっておりそれが四部屋続いた長屋になっています。

薪木や農具置き場、漬物などの食料を保管した木小屋です。

まあ説明しなくても見ただけで明らかな土蔵です。
書籍以外の大事なもの納めていた蔵だそうです。

学校全景

歩道橋の上から見た足利学校の全景です。
東側半分にだけ土塁と堀が見られますがなぜかはわかりません。
昔は西側にも広がっていたものが市街地の開発で東側だけが残ったのでしょうか。

豊臣秀次によって蔵書の一部が京都に持ち出されそうになったが徳川家康が守ったと伝えられています。

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