UA-79192611-1 日本百名城、足利氏宅跡の鑁阿寺(ばんなじ)

日本百名城、足利氏宅跡の鑁阿寺(ばんなじ)

栃木県足利市にある足利氏宅跡(鑁阿寺)

足利氏の祖である源義康がこの地に居館を構え、二代義兼が居館に大日如来を奉納した堂を建立、三代義氏が伽藍を整備して足利氏の氏寺としたそうです。
ちなみに二代義兼の戒名が鑁阿なんですね。

楼門(山門)

正規のルート(?)である楼門(山門)から入ります。

現在は真言宗金剛山鑁阿寺になっていますが、同時に足利氏宅跡として国の史跡に指定され、日本百名城のひとつともなっています。

太鼓橋の屋根には足利氏の家紋が掲げられています。

太鼓橋は楼門とは分離しているのですがすこし離れた正面から見るとまるで一体化しているように見えます。

現在は鑁阿寺となっていますが境内を取り囲んでいる土塁と堀はその昔足利氏の館であったことがうかがえます。

楼門の屋根には足利氏の紋とともに徳川家の紋が掲げられていますが、豊臣秀吉によって攻められたとき戦火によってお堂が焼失したのを再建したのが徳川家康だそうです。
徳川家は源氏の子孫だと自称していたので祖先のためには当然のことだったのでしょう。

境内側から見た楼門ですが立派な造りです。

本堂周辺

鑁阿寺の伽藍図です。
境内を取り囲む土塁と堀以外は完全に寺院の配置となっています。

長い参道の先に本堂が見えます。

多宝塔。
5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院が造営したそうです。

樹齢約550年の大銀杏。
縁結びの御神木ともいわれているそうです。

鑁阿寺の本堂(大御堂)。
国宝に指定されているそうです。

この鰐口なるものですが、私は正直あまり見たことがありません。
これって真言宗の寺院だから鰐口があるんでしょうか?

不動堂(中御堂)。
本尊の不動明王は成田山より迎えたものだそうです。

経堂。
義兼が妻の供養のため一切経会を修する道場として建てたもの。
国指定重要文化財だそうです。

西門周辺

義兼によって創られたという西門。
本瓦葺き・切妻造りの四脚門。

児童公園。
地域とともにある寺によくみられる境内の一区画(私個人の定義です)。

北門周辺

御霊屋。
足利大権現と称し、俗に赤御堂ともいう。
本殿に源氏の祖を祀り、拝殿に足利十五代将軍像を祀る。
義兼の父義康と祖父義国の墓が本殿裏にあります。

大酉堂。
このお堂は元来足利尊氏を祀るお堂として室町時代に建てられたが、明治中期に尊氏公の木像を本坊に移し、大酉大権現を本尊としたそうです。

校倉(大黒堂)。
元来、宝物を収蔵していたが、後に宝物を他に移して大黒天を祀った。

これは何でしょうか。
案内板などはなく校倉と蛭子堂の間に設置されています。

蛭子堂。
時姫堂とも称し、義兼の妻、北条時子を祀り、時子の法名から智願寺殿ともいう。
ちなみに北条時子は源頼朝の妻、北条政子の妹だそうです。

北門。
三代義氏が堀の外に塔中十二坊を創建しその筆頭である千手院にあった山門を移設したそうです。

東門周辺

義兼によって創られたという東門。
本瓦葺き・切妻造りの四脚門。

鐘楼。
義兼が建立し国指定重要文化財だそうです。

心字池。
池が心の形に模して作られているためこの名がついたそうです。

カルガモ

普段渡良瀬川にいるカルガモが寒くなってくるとこの堀に移動してくるそうです。
近くに寄っていこうとするとすぐ飛んで行ってしまいましたが、「まだ来たばかりだから人間になれていないのよ」だそうです。

カルガモが一羽離陸態勢に入っています。
足で水をキックして体を起こしてから羽を広げるんですね。
恥ずかしながら初めて見ました。

「カルガモのとびだし注意!」
そうです大事なカルガモさんを交通事故から守りましょう。

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