UA-79192611-1 真田昌幸により築城された上田城.

真田昌幸により築城された上田城

長野県上田市にある梯郭式の平城である上田城。
ご存じ真田昌幸(幸村の父)が築城した城です。
たぶん2016年の今、日本で一番人気のある城ではないでしょうか。

上田城跡駐車場から

当然のことながら上田城跡駐車場は満車。
有名観光地によくあるパターンのおばあちゃんが呼び込んでいるどこかの会社の駐車場が向かい側にあったので迷わず入っちゃいました。
城跡駐車場の道を挟んで向かい側なのでほとんど歩く距離は変わりません。
空車を待って道路に待機している多くの車の皆さん、ここ空いてますよ~。

城跡駐車場の一角に待機していたラッピングバス。
「真田三代史跡めぐり」う~ん!なんて洒落ているんだ。
史跡めぐりではなくラッピングが素晴らしい。
このバスを予約すると上田市⇒真田町(上田市)⇒松代町(長野市)と真田ゆかりの地を巡ってくれるそうです。

城跡駐車場から見た南櫓です。
なんか圧倒される高さですね。

城跡駐車場から見た西櫓です。
こちらも南櫓同様圧倒される高さです。

南櫓と西櫓です。
この手前側には千曲川があり、ここは支流の尼ヶ淵だったそうなので別名が尼ヶ淵城。
こんな崖っぷちの南側からは絶対に攻め込めないだろうと思いますが皆さんいかがでしょうか。

城内へ向かう

当時の城郭の縄張りです。
でも実際に行ってみてこんなにいっぱい櫓はありませんでした。
もしかして徳川にみんな壊された?

そうなんです。
関ヶ原の戦いでは西軍につき、徳川秀忠の攻撃を受けても城を守り抜いたんですが、本戦では西軍は敗れたため、上田城は徳川軍に徹底的に破却されて堀も埋められてしまいました。
その後、移封された仙石忠政によって再建築城されたそうです。

西側にも城に登っていく階段があるそうですが、かなり急な階段だそうなので東側からぐるっと回って本来の正面から行くことにします。

二の丸の外堀だった所が正面入り口?への道となっています。

二の丸橋から

二の丸への橋の上から先ほどの道を見てみました。
相当深いです。

上田城跡公園案内図です。
二の丸を入ってすぐ左側にかなり大きな建物「大河ドラマ館」があり、かなりの人で賑わっていましたが、私としてはこういったものは作ってほしくないですね。

東虎口櫓門

東虎口櫓門と左側に南櫓。
さすがに今一番人気の上田城。
観光客がいっぱいです(私もそのひとりですが)。

東虎口櫓門とその右側に北櫓。
それと真田石。

これが真田石です。
わかりますよね、一番大きい石。
この石を持っていこうなんて無理でしょう信幸さん(いやこの頃はもう信之かな)。

東虎口櫓門の内側と北櫓。
この北櫓と南櫓そして西櫓への入館は有料なのですが、入館券売り場が午後4時30分で閉まってしまうので注意してください。
なので櫓内部には入っておりません。

真田神社

大手門をくぐるとすぐそこには真田神社。
真田父子を主神とし、仙石・松平を祭神とするとなっていますけど、徳川の時代に真田神社とはあり得ないと思うのですが・・・。

その真田神社。
お参りの人がいっぱいです。
真田と言えばいざという時に機転がきく。また、巨大な敵に立ち向かう。
あやかりたいと思うのは当然です。
また二度にわたる徳川軍との上田合戦でも決して「落ちなかった」城にあやかって、受験生の祈願も多いそうです。

真田幸村公の・・・なんて言うのかわかりませんが。
この神社が最初からあるのならばここにあるのは真田昌幸では。

社務所に表札がかかっていますね。

社務所の表札が真田幸村ってことはあの幸村さんが住んでいるってことですかね。

井戸に蓋がされています。

真田井戸。
この井戸は抜け穴になっていて敵に城が包囲されても、ここから物資の搬入や兵の出入りが出来たそうです。
昔の技術でよくぞ思った場所までこんな穴が掘れたものですね。

おまけに

真田幸村、真田昌幸、真田幸隆。
信幸(信之)さんが抜けています。
信幸さんがかわいそうです。
上田市は今でも豊臣方ということでしょうか。

真田十勇士ウォーキングマップ。
そうです、城だけが有名になってもその恩恵は城周辺だけに留まります。
出来るだけ市内全域に観光客を呼び込んでこそ上田市の繁栄があるのです。
それから言うと城だけ立ち寄ってそのまま立ち去った私は悪い人ですね。

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