愛媛県にある藤堂高虎によって築城された今治城。
当時は三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した海城となっており、高松城、中津城と共に日本三大水城の一つに数えられています。
日本100名城のひとつでもあります。
高虎が伊勢国津城に移封となったとき、同時に天守は丹波国亀山城に移築されたと伝わります(定かではありませんが)。
駐車場より
城の東側(大手門側土橋手前の左側)に駐車場があり、朝が早かったため、そこに駐車して開門時間を待ちました。
残念ながら今日は雨が降っています。
駐車場から内堀の向こう側に見えるのが御金櫓。
内堀の幅は全周において広く、弓矢の射程距離を上回るようになっているそうです。
また土台が海岸の砂地であるにもかかわらず石垣が高くなっており、石垣の周りにある細長い平地「犬走り」によって地盤を強化しているとのことです。
駐車場から城の右側を見ると鉄御門・武具櫓が見えます。
大手門
大手門へ向かう土橋の前から見ると多聞櫓が大手門の周りを取り囲んでいます。
大手門です。
右に鉄御門があり、足元に灰色でペイントされている部分が高麗門の両側にあった袖塀の石垣跡です。
高麗門と鉄御門および三方向を取り囲む多聞櫓により桝形虎口を形成していて鉄壁の防御ですが、この構造は史上初めて藤堂高虎が今治城で完成させた築城術だそうです。
城門の扉には全面に短冊状の鉄板が打ち付けてもありますし・・・。
大概の城にある城主の見栄張りの巨石。
今治城の場合は官兵衛石。
築城奉行の渡辺勘兵衛にちなんだものだそうです。
多聞櫓。
高麗門を突破して鉄御門を攻略しようとする敵を弓矢や銃で三方向から狙い撃ちします。
鉄御門(くろがねごもん)。
名前は扉や柱に打ち付けられた短冊状の鉄板に由来し、格式の高い城にしかない特別な城門であり、藤堂高虎がいかに徳川幕府から高い信頼を受けていたかがわかります。
鉄御門の内側。
大きくて立派な冠木で組まれています。
鉄御門から多聞櫓を介して続く武具櫓。
万が一、敵が桝形虎口を突破しても、さらに喰い違い虎口となっていますので敵は攻撃にさらされます。
城内
武具櫓・鉄御門から続く多聞櫓の東側の裏手にあるのが蒼吹の井(井戸)。
海城ではあるが真水が出る井戸もあったようです。
藤堂高虎の像。
城にはよくあるその地に因んだ像ですが
武将の像で鎧兜を身に着けていない像は珍しいのではないでしょうか。
今治城天守。
藤堂高虎が伊勢国津城に移封となると同時に天守は解体され丹波国亀山城に移築されたとする説があるそうですが、今治城天守の外観や規模は不明であり、また天守の存在も認められていないため、これは模擬天守です。
ちなみに層塔型であったと伝えられているのに対し、再建天守は望楼型の構造になっているそうです。
”・・・そうです”というのは私が漠然としか違いが判らないためです。
私にはこれがどちらに該当するかはよくわかりません。
二の丸の東隅にある御金櫓。
当時は金蔵だったそうです。
本丸内の天守が建っている南側には神社があります。
多くの城と同様に明治の廃城令で今治城が廃城となり、そこに城下にあった神社を合祀し今治城の別名を由来として吹揚神社となったそうです。
立派な門があります。
この右手に再建天守があります。
吹揚神社拝殿。
吹揚神社を出るとすぐそこに天守の入り口があるのですが、一旦鳥居を出て再度天守へ向かいます。
この城門から先が本丸です。
吹揚神社鳥居の先の石段を上がったところも本丸でしたけど・・・。
天守より
天守最上階から見た北側の眺望です。
正面に藤堂高虎像、その向こうに武具櫓。
少し右に鉄御門さらに右に蒼吹の井。
左手前に見えるのが吹揚神社の社務所です。
また内堀のちょっと先に瀬戸内海の今治港が見えます。
ちょっと分かりづらいかも知れませんが海水の導入口もあります。
天守最上階から見た東側の眺望です。
正面に見えるのが御金櫓。
天守最上階から見た南東側の眺望です。
右に見えるのが吹揚神社拝殿です。
天守最上階から見た南側の眺望です。
本丸の大部分が現在は神社であることがわかります。
元々はこの神社がある場所に天守があったということなのですが
神社を無くする訳にはいかないので北隅櫓があった場所に再建したのでしょう。
可哀想な北隅櫓さん。
天守最上階から見た南西側の眺望です。
城の周りには必ずといっていいほど学校が建っています。
「ここも以前は城内だったんだよ」と言うことですね。
さすがに山城は別ですが。
天守最上階から見た北西側の眺望です。
正面に見えるのが山里櫓。
右手前は吹揚神社の社務所です。
天守最上階から見た西側の眺望です。
土橋の向こう側は「山里」庭園があった場所です。
再び城内
二の丸北西隅にある山里櫓。
城内の庭園「山里」の方向に位置するのが名前の由来だそうです。
山里櫓外側から見た天守。
船着き場には軍艦が係留されており城内から直接海に出ることが出来たそうです。
天守はこちら側(城の北西側)から見る方が立派に見えます。
山里庭園があった側から見た山里櫓です。