UA-79192611-1 武田信玄が山本勘助に命じて築いた松代城

武田信玄が山本勘助に命じて築いた松代城

松代城

最近では真田信幸(関ヶ原の戦い後、信之に改める)の城として有名です。
実際には築城以来城主は時代の移り変わりとともに代わっているが最終的には信之の入城以来、明治維新までは真田氏の居城でした。

市営殿町観光駐車場に車を止めるとすぐ目の前に松代城跡があります。
手前に見えるのが二の丸南門、奥に見えるのが太鼓門。

太鼓門と太鼓門前橋。
こじんまりとしてはいますが、なかなか絵になる風情です。

虎口に入り櫓門をくぐるとここが本丸です。
現在本丸内部には何もありません。
失礼しました、木々が植えられていましたね。

本丸に入って右手に進み東不明門前橋。

東不明門前橋から見た二の丸です。
以前は二の丸御殿が置かれていたという東側です。

本丸内にある海津城址の碑。
元々は上杉氏との川中島の戦いの最前線として武田家足軽大将の山本勘助が信玄に命じられて築城し、当時は海津城と呼ばれていました。
真田氏3代幸道の時代に幕府の命により松代城と名が改められました。

北不明門の櫓です。
不明門なのですが、観光客のため(?)に門は開放されています。

本丸北西にある戌亥隅櫓台を本丸の外の搦手口側井戸跡付近から見てみました。

本丸の内部から見た戌亥隅櫓台です。

戌亥隅櫓台に上るための木製の階段が設置されています。

戌亥隅櫓台より東側を見ています。
前方に見えるのが北不明門です。

真田邸

それでは城跡を後にし旧三の丸にある真田邸へと向かいます。
これは真田公園から見た真田邸です。

真田邸のすぐ前から見ています。
右側の勝手口に料金窓口があり観覧料が必要です。

この真田邸はもともと新御殿と呼ばれ、真田9代藩主の義母が住んでいましたが、明治以降は真田家の住居となっていました。

邸内は結構広いです。
真田家の屋敷だから当然と言えば当然ですけど。

真田邸の庭園です。

真田邸入口から回ってちょうど反対側、文武学校側より見た真田邸の塀です。
真田邸の敷地の広さがわかると思います。

旧樋口家

真田邸の東南側にある上級武士だった旧樋口家の住居跡。

復元された旧住居跡。

旧樋口家の庭園。
でも実際は江戸時代には畑として使用されていたそうです。

文武学校

松代藩の藩校である文武学校。
左側の勝手口に料金窓口があり観覧料が必要です。

文武学校の見取り図。
ほとんどの場所の写真はあるのですが、みなさんこれで想像して興味のある方は実際に訪れて見てみましょう。
当時の配置そのままの状態だそうです。

文武学校入口の左側にも別の施設の入口がありますが、これは観光施設ではありません。
なんと松代小学校の門なのです。
文武学校を取り囲むように校舎が立っていて、ついつい入ってしまいそうになるのですが、部外者進入禁止なので入らないでくださいね。

スポンサーリンク
ひとやすみレクタングル大18.02.19
ひとやすみレクタングル大18.02.19

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
ひとやすみレクタングル大18.02.19