UA-79192611-1 徳川御三家の水戸城跡

徳川御三家の水戸城跡

水戸駅前より三の丸歴史ロードを歩いてみます。
弘道館への看板もあったのですがまずはその周辺から。

旧三の丸

まずは水戸城跡の説明板を見つけました。
平安時代末期から鎌倉時代初期に馬場氏によって館が築かれたことに由来し、その後江戸氏、佐竹氏と変遷し、徳川頼房が封じられて以降、水戸徳川家の居城となった。

三の丸西側の空堀です。
中堀。

三の丸南西側は現在では県立図書館になっていました。

三の丸北西側は現在では茨城県三の丸庁舎になっていました。
なんて立派な建物なんでしょう。
茨城県はよっぽど税収が多くて予算に余裕のある県なんでしょうね。

三の丸庁舎の裏手に回ると、弘道館公園が現われてきました。
カラフルでわかりやすい案内板です。

学生警鐘。
弘道館内の学生に時を告げたり、事ある時の知らせに用いたそうで、一般の寺院にある梵鐘とは趣を異にした独創的な造りになっているそうです。
この鐘は徳川斉昭自鋳のものとのことですが、鋳造はそんなに甘いものではありませんよね。

孔子廟。
弘道館建学の趣旨のひとつである「神儒一致」の教義にもとづいて、儒学の祖である孔子を祀るために建てられたものです。
廟の構造は、大成殿(中国の孔子廟の本殿)を模した入母屋造り瓦葺で、屋上には鬼犾頭(きぎんとう)と鬼龍子(きりゅうし)の像を置いた特異なもので、孔子の生地(中国山東省曲阜市)の方向(西)を向いているそうです。

孔子廟の門の脇に植えられているのが楷(かい)の木。

楷の木は俗に孔子木と呼ばれており孔子の墓(孔林)にある聖木として有名。
この由来により各地の孔子廟にも植えられている。
孔子と縁が深く、科挙の進士(中国の官僚登用試験でもっとも地位の高い科)に合格した者に楷の笏を送ったことから学問の聖木とされる。

鹿島神社。
昭和49年第60回伊勢神宮式年遷宮の折、伊勢神宮別宮「風日祈宮」の旧殿一式が特別に譲与された伊勢神宮以外に例のない「唯一神明造り」だそうです。

八卦堂。
この八角の堂は、各面の上欄に八卦の算木が取り付けられているので八卦堂といいます。
八卦とは「当たるもはっけ当たらぬもはっけ」の八卦です。
(誤解を生みそうな例えですが、詳しく説明すると思いっきり長くなるので)。
堂の中には弘道館記碑が納められているそうです。

鹿島神社拝殿。
鹿島神社の祭神は、天照大神の国土平定の祖業に貢献した武甕槌命(たけみかづちのみこと)で常陸一の宮である鹿島神宮から分霊を勧請して祀ったものだそうです。

神木鈴梅。
徳川斉昭お手植えの梅の木だそうです。
気になったのがそんな大事な木の目の前に駐車スペースの区画が設置されており、バックで駐車してそのままエンジンをかけっぱなしにしていると排気ガスが木に直接かかることです。

特別に説明板等はありませんが鹿島神社のご神木的な木ではないでしょうか。
なかなか立派な木です。

要石歌碑。
鹿島神宮の要石になぞらえて建てた歌碑とのことですが、徳川斉昭は石碑を設置するのが好きだったようです。

弘道館公園を横切る道。
たぶん梅の時期になるときれいなんでしょうね。
右側に弘道館が見えます。

ずっと気になっているんですがさっきからこのあたりを散策していると椅子やクーラーBOXを持った人たちが頻繁に通り過ぎていくんですが何かイベントでもあるんでしょうか。

この木何の木 気になる木。
説明板もないので何かはわかりませんが。

弘道館正面。

近世日本の教育遺産群として
茨城県水戸市の日本最大規模の藩校「弘道館」
栃木県足利市の日本最古の学校「足利学校跡」
岡山県豊前市の日本最古の庶民の学校「旧閑谷学校」
大分県日田市の日本最大の私塾「咸宜園跡」
が日本遺産に認定されています。

弘道館の正門。
藩主が来るときなどの場合のみ開門する正式な門で学生や役人は通れなかったそうです。
私たちももちろん通してはもらえません。

通常は入って右側のこの通用門から出入りします。
なぜならばこの門の先には料金所があるからです。
料金は200円。

水戸市立三の丸小学校。
由緒正しき小学校のように見受けられます。

校舎は近代的な新しい校舎。
耐震化が叫ばれている昨今、昔ながらの校舎なんて存在するわけがありませんね。

旧二の丸

この先が二の丸です。

ここには椅子やクーラーBOXを持った先ほどよりももっとたくさんの人々が先へと急いでいます。

徳川斉昭の像。

大手橋。
ここの堀は現在では道路になっていました。

この橋を渡ってすぐのところに茨城大学の付属幼稚園があるんですね。
今日は運動会なので父兄の方々が足早に向かっておられます。

水戸市立第二中学校。
門構えは立派です。

校舎はやっぱり新しい近代的な校舎です。

茨城県立水戸第三高等学校。
やはり門構えは立派です。

この辺一帯は水戸城跡通りとして整備されているみたいです。

旅行から帰ってきてからいろいろ調べてみるとこの通りの塀は最近出来たばかりなんですね。
(いつも最初の目的を果たしてからその後の立ち寄り先を決めるもので予備知識がないのがほとんどです)

樹齢400年以上という大シイ。

やはり大都市の中心部の城跡はほとんどが城郭内部に公共の建物が建ってしまっていたため元の状態に復元というのは難しいのでしょうね。

旧本丸

現在の本丸跡は水戸第一高等学校の敷地になっています。

敷地内には水戸城唯一の建築遺構である薬医門が移築されていて、見学のための立ち入りは可能とのことでしたが、高校生もいっぱい歩いていて、入るのも躊躇される雰囲気だったので、パスしました。

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ひとやすみレクタングル大18.02.19
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