UA-79192611-1 日本三大名園のひとつである水戸偕楽園

日本三大名園のひとつである水戸偕楽園

偕楽園下駐車場から階段を登り常盤神社側から偕楽園本園に向かいました。
偕楽園下駐車場は有料だったんですが、線路の向こう側の護国神社周辺にある駐車場は無料です(梅まつり期間は有料)。
残念ながら後から知りました。

この常盤神社は水戸藩を代表する第二代藩主徳川光圀と第九代藩主徳川斉昭を祀る神社です。

なにか着飾った子供たちと両親および祖父母がたくさんいましたがもしかして七五三?。
でも今は9月ですけど?
また今日は10月9日の大安なので結婚式の参列者の姿も、当然花嫁花婿の姿も。

それでは偕楽園東門より入園。
開園時間は午前7時から午後6時までですが 、2月20日から9月30日までは午前6時から午後7時までです。

偕楽園の園内はこんな感じです。

門を入るとそこにはたくさんの梅が咲き誇って・・・いるわけはありません。
今は10月ですから。

東門から入り右手に進んで行くと御成門があります。
明治時代に皇后様が好文亭に来られた時に周囲の土塁を切断してわざわざ新設した門だそうです。
そんな無駄なことをしなくてもと思うのですが、そんなことを堂々と説明する説明板を設置していることが私には理解できません。

さらに右手に進んで行くと偕楽園の北側にあたる場所に好文亭表門があります。
偕楽園に設置してある5つの門の中で2番目に遠い場所にあるのがなぜか表門。
当時は北門と南門のみで南門は湖に面した船着き場であったことから、北側が表門として利用されていたみたいです。

表門を抜けるとすぐに一の木戸門があります。
ここは陰の世界の入り口です。
偕楽園散策の深い味わいは、竹林や杉森の「陰」と、梅林や好文亭から見る「陽」の情景の対比にあるそうなので、散策は表門から始めるのがお薦めだそうです。

一の木戸門を過ぎると右の大杉森と左の孟宗竹林を見ながら進みます。
ここの竹は弓の材料とするために斉昭が京都男山の竹を移植したもの。

しばらく進むと見えてくるのが大きな大理石とそこから湧き出ている水。

これは吐玉泉といい、このあたりは湧水が多く、地形の高低さを利用して集水し、景観を考慮して湧水泉を設置。
泉石は常陸太田市真弓山の寒水石ともいわれる大理石だそうです。
湧出量は何と一日約100トン。
この水は眼病に効くといわれ、好文亭の茶室何陋庵の茶の湯にも供されました。

これは次郎杉跡。
昭和39年9月の台風20号で倒れてしまったそうです。

これは太郎杉。
推定樹齢なんと800年。
かってこの周辺には杉の巨木があり大きい順に五郎杉まで名前が付けられていたそうですが、現在あるのは太郎杉のみ。

園の南西側にはエレべーターや階段が設置されています。

道路や線路を越えていく橋はその先の護国神社まで続いておりなんとそこには大きな無料駐車場が見えます。
そうなんです。
車で来たほとんどの人はここから偕楽園に入るのです・・・と思います。

ちなみにこの橋は梅桜橋といいます。
偕楽園の梅と桜山駐車場を結んでいるからでしょうか?

橋の上から見る庭園もきれいです。

これはどこの門だったでしょう。
たしか南側から好文亭に向かっている時だったような気がしますので、櫟門だと思います。

これは芝前門。
ここをくぐって左側に好文亭の入り口があります。

この門は好文亭中門。
ここをくぐって右側に好文亭の入り口があります。

つまり好文亭を出て右側には芝前門、左側には中門があるということです。

ここが好文亭の入り口、料金所とも言いますね。
ここで200円を払って中に入ります。

見晴らし広場から見た好文亭。
水戸藩第九代藩主徳川斉昭が家中の人々とともに心身の休養を図るために建てたそうです。
好文亭の名前の由来は、晋の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれています。

好文亭の北側にある奥御殿です。

推定樹齢300年の百日紅(さるすべり)。
中国南部が原産のミソハギ科の落葉樹です。

井戸があります。
何の説明板もないので普通の昔の井戸と捉えました。

偕楽園記碑。
高さ2.5mの自然石の平石に,偕楽園の名前の由来や創設した理由、利用の心得などが、斉昭の直筆で記されています。
ということなのですが私には上の偕楽園記の四文字しか見えません。

柳川枝垂。
水戸六名木のひとつ。

その他は好文亭近くに烈公梅。
梅林の北側(御成門の西側)に江南所無、白難波、虎の尾、月影があります。

二季咲桜。
一年に二度咲く、四季桜の一種、二季咲桜です。
左右に枝分かれしていて、それぞれ色合いが異なる花を咲かせるそうです。
今は咲いていないのでよくわかりませんが・・・。

左近の桜。
この桜は、斉昭夫人の登美宮(とみのみや)が降嫁の折、仁孝天皇から京都御所の左近の桜の鉢植えを賜ったことにさかのぼり、東京小石川の後楽園徳川邸に植えられたこの桜は、弘道館の落成にあたり弘道館正庁玄関前に移植され、その後、初代・二代目は枯れてしまい、現在の桜は昭和38年弘道館改修工事の完了を記念して茨城県が宮内庁より京都御所の左近の桜の系統(樹齢7年)を受領し、弘道館と偕楽園に植えたものだそうです。

仙奕台(せんえきだい)。
千波湖をはじめ周囲の景観が一望できるこの突き出た大地を称します。
「奕」は囲碁を意味し、四方を眺め湖上から吹き上げる涼風を受けながら碁や将棋などを楽しんだそうです。

石でできた碁盤や将棋盤、琴石、卓石は当時の物だそうですが、どれがどれなのかは私にはわかりません。

僊湖暮雪碑(せんこのぼせつひ)。
徳川斉昭が中国の瀟湘八景になぞらえ水戸藩内の景勝の地八ヶ所を選び「水戸八景」と定める。
ここはそのひとつ、僊湖とは千波湖のことです。

偕楽園の萩は徳川斉昭が各藩より譲り受けたものを偕楽園創設とともに植えたのが始まりです。

見晴らし広場周辺の庭園美をお楽しみください。

梅林の景色は今度梅の開花時期に来た時にアップしたいと思います。

もし来る時があればですが・・・。
私は基本的に混雑しているところは嫌いなので・・・。

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ひとやすみレクタングル大18.02.19
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