まとまった休みが取れたので東北地方へドライブに行ってきました。
ずっとほぼ海沿いの一般道を走ってきたので最後まで貫き通しましょう。
【第4日目です】
宮城県
今朝はスーパーホテルなので朝食がついています。
今回の旅で初めての晴れている朝です。
仙台城
ホテルを出て最初に向かったのが仙台城(青葉城)。
ご存じ伊達政宗の城です。
広大な城であったことがうかがえる周辺の地形でしたが
都市部にある他の城跡と同じく周辺は近代的な公共の施設等が立ち並び
本丸もいわゆる観光地という感じで物足りなさを感じましたが
そそり立つ切石積みの石垣は圧巻でした。
多賀城
仙台城を出て次に向かったのが多賀城。
ちょっと戻るような形になりますがせっかく近くにあるのだから行かないともったいない。
大和朝廷の時代の城ということで一般的な城というイメージとは違い
朝廷の北の政治の拠点という意味合いらしいです。
遺跡群は点在しており民家等もそばにあったりするのでなかなか全体を想像するのが難しいです。
ちょうど多賀城あやめ祭りが開催されていました。
今日は暑い、熱中症になるのではというくらい暑い日ですが
たくさんの人たちが集まって地域の屋台などもたくさん出ていました。
それではちょっと戻るようにして福島県に向かって走ります。
宮城県内走行距離は240.9kmでした。
福島県
岩手県宮城県などは”過去の津波浸水区間”の標識がたくさんありましたが
福島県だけは”東日本大震災津波浸水区間”との表記になっています。
何か理由があるのでしょうか。
今日の昼食は道の駅南相馬です。
かつ丼定食を頼むと「10分くらいかかりますけどよろしいですか」と言われました、
えっ!そんなにかかるんだ願ったりかなったり問題ありません~!!
おいしいカツ丼が食べれそう。
予想通りおいしいカツ丼でした。
帰還困難区域
お腹も膨れ再び車を走らせ浪江町に入ると避難指示区域となっているため人の姿が見えなくなっていきました。
(実際には道路から山側の地域は帰還困難区域だそうです)
双葉町に入ると帰還困難区域の立て看板があり、警察官が監視しています。
車のみ通過できるそうです。
工事関係者らしき人以外の人影は全くありません。
大熊町は同じく帰還困難区域のためやはり人影はありません。
富岡町も同じく一部帰還困難地域でした。
自分は東日本大震災の影響を受けていない地域に住んでいるため、
この現状というのは全く想像の世界でしたが、
現実をこの目で見て、
表現はおかしいのでしょうがまるで映画の撮影のようでこれが現実であるということが受け入れがたいです。
皆さん想像できますか。
道の両脇には普通に街並みが続いている。お店もある。民家もある。
だけど人影がない。民家の入り口には柵がしてある。お店の駐車場は雑草だらけ。
信号もあるけれどずっと青信号のまま。
どの車も停車することなく、右左折することもなく、ただひたすら前の車の後をついてまっすぐに走行を続ける。
それも延々と。
今回の旅の後半はちょっと受け入れ難い現実もあって考えさせられる旅でしたが
人間とは(私だけではないと思うので)げんきんなもので旅の終わりを迎えると
今ちょっと前の憂鬱な気持ちが途端にうきうきした気持ちになるんですね。
13:33に茨城県北茨城市に入り東北一周ドライブも終了です。
誰かに報告したくなってメールの送信者欄にたくさんのアドレスをぶち込んで送信。
福島県内走行距離は135.6kmでした。
本日のすれ違う車のナンバーの変遷は仙台→宮城→福島でした。
今回の東北一周のまとめ
今回の東北一周ドライブの総走行距離は1773.0kmでした。
今回の旅も終了し旅のコンセプトも終了です。
従いましてここから自宅までは一気に高速道路で帰宅します。
福島-茨城県境から帰宅までの所要距離502.1km。
21:00に帰宅です。
4日目の走行距離は709.8kmでした。
今回ドライブの総走行距離は2275.1km。
一日平均570kmというところでしょうか。
いろいろな思い出が作れた旅でしたが
一日平均570kmの距離ということはほとんど走ってばかりいたということでしょうから
出来れば今度はもっとゆっくりとした期間で回りたいですね。
コメント
同じことを計画していたので、とても興味深く拝見。なかでも八戸が漁師町で早朝銭湯が多いとのこと。ぜひ体験したいと思います。ただし長距離運転で腰痛が・・・
黒田さんこんにちは
管理人の百河豚です。
同じことを計画しておられるのならば一言。
4日間はかなり余裕のない日程でした。
特にせっかくの十和田湖と奥入瀬渓流が通過のみとなってしまったのが心残りです。
出来ればもう少し余裕のある日程をお勧めします。