UA-79192611-1 瀬戸内海に面した海城である高松城(別名:玉藻城)

瀬戸内海に面した海城である高松城(別名:玉藻城)

高松城は香川県高松市玉藻町にあった日本の城であり別名:玉藻城(たまもじょう)とも呼ばれています。

国の史跡に指定されており城跡は現在では「玉藻公園」となっています。

かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、外堀・中堀・内堀のすべてに海水が引き込まれて城内に直接軍船が出入りできるようになっており、本格的な海城であったそうです。

大手門

旭門からの入城です。
旭門は高松城の大手門なのですが、案内図などには旭門ではなく東門と記されていました。
門を入ったところに料金所があり入場料金は200円です。

旭門の左側には以前は東の丸にあった艮櫓(丑寅櫓)ですが、現在はこの桜の馬場の太鼓櫓跡に移築されています。

旭門の右側には三の丸とその先に北の丸の月見櫓がちょっとだけ見えます。
本来、この右側には東の丸があったのですが現在は埋め立てられて公共施設等になっています。

旭門は枡形虎口になっていたようですが真新しく綺麗に組まれた石垣はちょっと興ざめですね。

城内へ

本来ならば桜の馬場から三の丸に行くのでしょうが
桜御門跡の石垣修繕工事中のため仮設の橋を利用しなければなりません。
写真右手の隅にクレーンと作業している人が見えますね。
本来ならばあそこから三の丸に入るのですが・・・。
正面に見えるのは三の丸桜御門左側の石垣です。

内堀には乗船料大人500円で内濠遊覧船「玉藻丸」が30分ごとに就航しています。

内堀の中心付近に見えるのが天守台です。
2006年から解体し2013年に復元が完了したそうです。
天守の復元も計画されているそうです。
個人的には復元天守なんか無くてもあまり手を加えてない状態の方が好きなんですけど。

二の丸から本丸へ行くための鞘橋です。

この鞘橋も復元されています。

鞘橋から見るとそこには琴電琴平線の高松築港駅があります。
元々は内堀だった所が埋め立てられています。

本丸

それでは本丸に入ります。

本丸内部。
それほど広い敷地ではありません。
城主は三の丸に居住していたため多聞櫓に囲まれた天守のみがあったと言われています。

天守台

天守台は本丸の東端に突き出しています。

天守台内部。

天守台にはさらに見晴らし台が設置されていました。
いつもながら興ざめです。
と言いながらも登ってみる私。

見晴らし台からは城の四方がほぼ見通せますね。
本丸のほぼ全景です。

鞘橋と右側が二の丸。

左の二の丸と右の三の丸をつなぐ道。
内堀に海水を引き込むための水門があります。

三の丸
右に見える建物が再建された披雲閣。

二の丸

二の丸
琴電で来た人はこの先左側の西門から入城できます。
本来ならばその外側には桜の馬場から続く西の丸があったのですが
現在は埋め立てられて市街地となっています。

三の丸北側

三の丸の北側です。
この石垣の外側は瀬戸内海だったのですが現在は埋め立てられています。

月見櫓、水手御門、渡櫓。
この裏手が北の丸。
今は埋め立てられていますが水手御門の外はすぐ海になっていました。
ここが正式な出入り口としての性格を持っており
城主はこの門から小舟に乗り、沖に止まった大船に向かったそうです。
月見櫓は城主の船が着くのを見る「着き見」が由来。

三の丸南側(披雲閣)

渡り櫓のそばには披雲閣庭園の入り口。

披雲閣庭園です。
披雲閣は大正になってから再建されたものであり
庭園もその際に作造されたものだそうです。

庭園に関しては素人の私ですが
この庭はいろんな手法を狭い敷地内に凝縮させたような教科書的で窮屈な感じを受け
ゆったりとした安らぎが感じられないのですが・・・。

披雲閣の裏手になります。
現在の披雲閣は貸会場として運営されているそうです。
披雲閣は国の重要文化財に指定されていますが
大正時代の建築様式としてであり建物および庭は江戸時代を再現したものではありません。

以上、高松城でしたが、
城の北側は埋め立てられて道路や観光施設が建てられており、水手御門から瀬戸内海に面していた状態が残っていないのが残念でした。

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