UA-79192611-1 道後温泉のそばにある湯築城

道後温泉のそばにある湯築城

湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市道後町にある城跡です。
中世の伊予国の守護であった河野氏が南北朝期から戦国期まで、約250年間にわたって居城としていましたが、豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に城を明け渡しました。
その後福島正則が城主となりましたが、正則が国分山城に居城を移したため、廃城となってしまいました。
現在は城址全体が県立道後公園として整備されています。
日本100名城のひとつです。

道後公園北口駐車場に駐車し、北口から入って進みます。
とりあえずは公園内を散策しているような気持ちですね。

ほどなく現われたのがこの花崗岩でできた湯釜。
日本最古の湯釜だそうです。
天平勝宝年間(奈良時代)に作られ、現在の道後温泉本館ができるまでは道後温泉の浴槽内の湧出口に設置されていたものだそうです。
神話の昔から3000年の歴史を持つ日本最古の道後温泉の象徴でしょうか。

さらに進むとなんとなく城跡への道のようでもある雰囲気が現れてきました。。

出てきました。
階段の上には道後公園と共に湯築城跡との表示。

階段を登った上の削平地部分。
あえていうならば三の丸相当というところか。

奥まで行くと・・・。
これは石垣に相当するものかな。

その横にはさらに上へ行くための道。

杉の壇。
ここもかなり広い平地です。

今は展望台になっていますがもっとも高い位置に本壇があります。

石垣風に積まれてはいますが明らかに最近の工事によって造られた石段。

山の部分から西側に降りてくると復元された内堀と内堀の土塁が見られます。

さらに再現された武家屋敷も建っていました。

これは湯築城資料館。
私は縄張りや遺構には興味があるのですがこの手の資料館や再現建物にはほとんど興味はありません。
というか、武家屋敷も含めてこれは再現した建物とは言えませんね。
造りはもちろんですが外観も完全に今風で、その当時にこんな建物が存在するわけがありません。
せめてもう少し当時を再現したような外観にしてもらえないものですかね。

搦手口があったであろう場所の両側に盛られた土塁。
その先に見えるのが復元された坊ちゃん列車(蒸気機関車ではなくディーゼルではありますが)が走る伊予鉄道市内線の道後公園駅。

一応こちら側が道後公園の正面入り口になっているみたいですね。
でもここは本来搦手であり、大手は東側にあったはずなのですが、大手側は憩いの広場的な空間があるのみで、かっての大手門?だったところは狭い通路があるのみでした。

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ひとやすみレクタングル大18.02.19
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