山頂付近の西城駐車場(金山モータープール)に車を止め、そばの階段をちょっと登るとそこは西城跡。
山頂の本丸に向かって進みます。
ちなみに本丸には現在は新田神社が設置されていますので約600mの道程です。
ちょっと歩くと今走ってきた道と接する所に石碑とちょっとした休憩所。
ここが本来の史跡へのスタート地点。
金山城跡の大きな案内板が設置してありました。
見所やちょっとした解説も入っていて、ここを管理している人たちの親切さ(もしかしたらこだわり)が感じられます。
ご丁寧に管理者用の車道まで描かれています。
山城なので遊歩道はこんな感じ。
でも他の山城と比較するとかなり整備されています。
子供連れでも楽しめる遊歩道ではないでしょうか。
本丸に向かう側だけですけど。
まずは西矢倉台西堀切。
堀切とは山城に使われる堀で、尾根を断ち切って敵の侵入を防ぐ施設です。
本丸方向へは写真右から左へ向かうわけですが、この堀切があることによって進行方向に崖が出現してしまいます。
西矢倉台西堀切から城中心部へ続いていたであろう桟道(かけはしみち)。
急斜面に沿って丸太をかけて造られており、堀切を登れない敵がここから攻め入った場合は破壊して敵の侵入を防ぐ。
なので簡単に破壊できるような造りになっている。
見ての通り危ない造りなので「通りぬけ出来ません」。
桟道を下から見てみました。
現存していたわけではなくあくまでも復元。
危ない状態のままで復元されています。
下から見てしまうと通り抜け不可の看板が無くても渡る気は起きません。
西矢倉台下堀切。
堀切の左側(本丸側)の上が西矢倉台でした。
矢倉とは弓矢を貯蔵していた場所です、つまり矢倉台とは堀切の敵を弓矢で射るための場所ですね。
物見台下虎口。
前方に石垣があるためその先が見えないようになっています。
その先には橋が架かってはいますが。
橋の先にはまた石垣が。
手前側には下に降りる階段があるので、もし橋が無かったら敵はこの階段を降りていきそうです。
虎口の先には馬場下通路があります。
そんなに広くない通路に建物が建っていたそうです。
礎石建物址。
建物の反対側には土塁石垣があったそうなのでずいぶん狭い通路だったのでしょう。
その先にも堀立建物址。
この二つの建物の間に本丸への小さな通路があるのですがたぶんまっすぐに進み素通りしていくのでしょう。
でも通路の先は行き止まりになっています。
小さな通路を登り上に行く左側に物見台が見えます。
安全を考慮した頑丈な造りになっていますが、案内板には物見矢倉を復元したものではありませんとわざわざ書いてありました。
金属製の手すりなど昔の時代にある訳はないのですが親切です(あるいはこだわりが強い)。
物見台からは木がなければ虎口が丸見えです。
まわりの景色も良く見えます。
物見台から見ると右側(南側)が馬場曲輪への通路で途中で南下の馬場下通路に分岐しています。
左側には石塁があった形跡が見受けられます。
馬場曲輪と案内板に書いてありますので馬場だったのかなとも思いますが、兵が待機していた場所との説明もありました。
どっちなのかはよくわかりませんが復元された建物は馬小屋のようです。
結構広い曲輪なので馬場で間違いないと思います。
しっかりと排水溝まであったようです。
馬場曲輪の三の丸というか本丸側には大堀切が設置されています。
大手虎口の手前には月ノ池というため池。
大手虎口。
石垣が素晴らしい。
上に見える小屋は武器庫だったところ。
近くで見るとさらに素晴らしい石垣だということがわかります。
排水溝まで設置してあります。
段々の石垣によって敵は入った瞬間から側面からの攻撃を受けます。
入口の正面に石垣を配し敵を分散させることにより攻撃しやすくなっています。
喰違虎口を採用することにより側面からの攻撃がしやすくなっています。
大手虎口南上段曲輪。
武器庫だった小屋の別棟にはかまども設置してあり生活のにおいも見られます。
二の丸および本丸登り口にある日ノ池。
あまりにも整いすぎているを感じを受けますが、ここを管理している人々のこだわりは確実に認知しておりますので、これも発掘調査によって確認された通りに忠実に復元したものであろうことが想像できます。
本丸に登ってすぐ右側に鳥居が見られます。
神社が建てられたとのことなのでこれは一の鳥居でしょうか。
入口側に行ってみると階段はありますが極めて危険そうな階段であり、ここから来ることは不可能ではないでしょうか。
(撮影の仕方がうまいのか、写真で見るとそれほどでもないように見えますが、実際はひどい)。
この本丸は実城といわれていたそうです。
金山の大ケヤキ。
推定樹齢800年だそうです。
最初に見た時に右側に設置してあるスロープはバリアフリーだと思いましたが、実は工事中で、たぶん資材運搬用なんでしょうね。
一般立ち入り禁止です。
やはりこの階段から登らなければならないのでしょうか。
所々崩れてますけど。
二の鳥居が目前です。
ちょっとなじみのない狛犬が出迎えています。
新田義貞を祀る新田神社の社殿です。
御嶽神社の社殿です。
梅若稲荷神社も鎮座しています。
これが何かは案内板もないのでわかりませんが、全体的に苔で薄くコーティングされていて、器も綺麗にまんべんなく錆びているのでなんとなく御利益がありそうです。
階段を降りて戻ります。
ちょっと(かなり)怖いんですけど。
休憩所のある広場(南曲輪)にしっかりと設置してありました。
日本百名城の碑。
本丸から戻り最初の駐車場のある西城からさらに西へ行くと見附出丸と南土塁があります。
金山浅間神社の看板があったのでそこまで行ってみようと思い進んでいましたが、かなり厳しいけもの道の一歩手前のような道をただひたすら歩みましたがこんな感じのところでした。
戻りは落胆もあったのでしょうがかなりきつかったです。
私的には無理をしていっても得るものはないよってところでしょうか。
この金山城は案内板や復元施設にかなりこだわりを感じられました。
さすが中島飛行機のおひざ元の太田市です。
(関係ないかもしれませんが)。